眠る間際の蛇の自答。思考の揺蕩い。睡魔の酩酊。
密やかな愉楽。人に侵された独占欲。無意識の矛盾。
とりとめもない、どこかのせかい。
独白系BL警報。
起こさないように。
今更だとは分かっていたが、出来るだけ揺蕩う睡魔の影さえも揺らさないように手を伸ばす。
触れ掛けた所で一度指を浮かせ、そしてゆっくりと――彼の手に、触れた。密やかに吐き出した吐息を笑うように、身体の下でベッドが微かに軋む。
穏やかな睡魔は、例に漏れず己の意識も甘く蕩かす。
風を呑むようにゆっくりと瞬いて、眠気により徐々に狭まってくる視界の中で彼、の、横顔を見上げた。伏せている所為だろうか、長く揃う睫毛を視線で追い掛けるうちに何だか堪らなくなって、重ねた指に少しだけ力を込めた。指先だけを絡ませるようにして、親指の腹で広い爪の表面を撫でる。形良く、すらりとした長さの綺麗な指だ。詩人にはなれない武骨さは、男性であれば仕方ないのだろう。
部屋の中は仄かに明るい。金色にも、朝焼けの橙にも似ていた。窓の向こうも今は静まり返り、細く開いたカーテンの隙間から月が顔を出している。
空気を揺らさないようにそっと欠伸を噛み締めて、それでも飽かず、眠る愛しの……恋人の、横顔に魅入る。昼日中や彼が目覚めている間には、こうしてじっと、一方的に見詰める事は中々叶わない。眠気をおして意識を保たせようとするのも、それが理由だ。
音を立てずに囁いた名は、月明かりだけが知っていれば良い。
幾千幾万と、何度繰り返したかも分からない名だ。流れるような音の響きは、素直に綺麗だと思う。そこかしこを区切るような己の名とは対照的だから、余計に憧れは募るのかもしれない。
この男は何を想って別離の道を選んだのだろう。横顔を見る度にふと、そんなことを思う。
人のような生を持たぬ己や……此処には無いグラートのような存在は、元より別離の上に道がある。過ぎる時の速さも、潰える時の短さも、往々にして“人”という存在には相容れないからだ。
ゆえにと魔なる者は、恐らくそのほとんどが常、先に待ち受ける別離の瞬間を読みながら生きる。
どんな世界で誰と睦み合おうと、別離の時は先にあるか手前にあるかの違いだ。と――そう、思っている。……思って、きた。
だが、この男はそうではないだろうと思う。
別れの瞬間が訪れる事も、その存在を覚悟してはいても、時が許す限りという――古の誓約の祈りさえ捨て、唐突に目の前で選択を迫られる事はある。
ましてや人、だ。人を演じるでもなく、疲れたら浪々と漂い眠りに落ち、リセットされた新たな時に生きる己の性質とは遠く異なる。
別離を選ばずとも済む筈の道を捨て、自ら別離を選んだ事に、果たして何を思ったのだろう……――――?
疑念では無い。
男がその決断を後悔していないだろう事は、あるいは後悔はしても“決断をしなかった場合”に比すればまだ軽やかな後悔であろう事は、傲岸にも想像が叶う。己を選び取った理由が、少なくとも自暴自棄や諦観では無いだろうと。
その上で抱くのは、純然たる好奇心だ。
あの幼い……そう、彼が溺愛していた筈の妹も、遠く何処かへと道を別ったのだろうと思う。
彼女だけでは無い。話を漏れ聞いただけでも、父母が在り姉妹があったらしいことは、己の耳にも届いていた。
疑念では、無い。
疑念では無く、ただ純粋な好奇として――――己の価値は、それら全てと比するに足るだけのものだったのか、と。
だが、その疑問を口にするつもりはない。これから先、口にする事も無いだろう。
その疑問にどんな回答を受けても、正解というものは存在しないだろうことは、人にあらずとも想像が付くからだ。
男の手に指を絡ませたまま、もう一方の手を静かに持ち上げた。
学び舎、または一つの世界を後にしてからめっきりと伸びる速度を増してしまった髪を、シーツの上から払い除ける。
折角ならすっぱり切り落としてしまえば良いのかも知れないが、長い髪を切るのは恋破れた娘の覚悟のように思えて仕方ない。伸ばしたのではなくただ伸びただけだとしても、先入観に揺らぎは生じなかった。
枯れた苔に似た色の髪は、学び舎を出る前から元々伸びがちではあったが、今はもう腰に迫りつつある。
小さな欠伸を零し、絡めた指に自身の指を摺り寄せた。こうなればいっそ、彼に頼むのも良いかもしれない。女々しいだけかもしれないが、彼が好む辺りまで切ってもらえば、次からは妙な先入観に振り回される事も無くなりそうだ。
切欠も朧に霞みそうな程に、当たり前に触れて当たり前に寄り添う事の叶う距離は、思えばいつの辺りからだったのだろう。
いつからこうして、受け入れ、受け入れられる事の安堵が惑う躊躇を塗り潰したのだろう。
振り払う事も無く、振り払われる事も無く。ただ時折に漂う白粉や香の香りに、未だ知る事の叶わない朧な色を嗅ぎ取って、――嗚呼、思考が散っていく。
瞼を重く下ろす眠気に、考えは取り留めもなく崩れ落ちていく。とろりと瞬いた、その隙にも軽やかに。
起こしてしまうかもしれない事さえ忘れ、絡めた手に擦り寄り、抱き寄せる。外は冷ややかに凍ってもいよう。それが酷く心許ないような……心安らぐような、相反する奇妙な心地が不快でなく胸をざわめかせていた。
何がそんなにも喜ばしいのか。想う相手を、その有限を互いの掌中にしている事だ。
何がそんなにも恐ろしいのか。手に入れた事が傲慢をいや増し、手に余る欲を持つ事だ。
ならば、何がそんなにも愛おしいのか。慈しむ事か、慈しまれる事か。名を呼び、呼ばれ、触れ叶い……。漠然と、ゆらゆらと。波が木の葉を攫う光景にも似て、眠りのきざはしに溺れ往く意識は解けていく。
最後に“交わした”問い掛けだけが、緩やかに指の間を滑り落ちて――――……。
――――お休みと、愛おしさに紡いだ先で。誰かの嘆息を、聞いた気がする。
(20150124)
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2015/02/04
書き物