学園に行動日記で投稿した【星に届かぬ宵闇に】の本文+αです。
BL色が強く出ておりますので、苦手な方はご注意下さい。
尚、若干R18入った完全版は、例によってついしょにぽんとしております。
星空の一つも見上げて手を伸ばした所で、指は何処にも届かない。
背後から差し込む部屋の明かりが揺らめいて、インディスラートは微かに双眸を細めた。
「恨みたければ恨んでも良いぞ」
主にして弟たる男の声は、何時にも増して冷ややかだ。
いっそそうすべきだと嘲笑っているようにも聞こえ、インディスラートの唇が嘆息を零す。
「そんなことをすると御思いですか」
嘲笑うように振り返れば、開いた扉に凭れ掛かる少年の姿が目に入る。
幾つも嵌め込まれた硝子を鳴らしながら、ベランダに続く扉を開けはなったままでノイズは腕を組んでいた。
「しないのか?」
問う口振りでありながら、酷薄な口調でもあった。
小首を傾げる少年姿に、何故その理由があろうとばかりにインディスラートは首を捻る。
「まぁ、別れを告げられなかったのが、口惜しくはありますが。……必要はないでしょう」
「ふん……?」
訝しげに鼻を鳴らすノイズから視線を剥がし、インディスラートは柵に凭れた。夜の冷気が冷やした鉄柵の、焼けるような冷やかさを感じながら目を瞑る。
「彼は人間で、私は化け物だ。……遠からず、いつか。もっと残酷な終わり方は有り得た」
「………………」
「それを思えば、幸せだとは思いませんか。彼の死体を見詰めることもなく、思い出の中だけに残るんです」
己が胸を撫でてみせるインディスラートへと、ノイズは僅かに双眸を細めた。
窺い見るように。真意を問うように。そんな視線に、蛇は気付かない。
「俺は彼を愛していますよ。今でも。多分、これからもそうでしょう」
それはかつての妻と同じようなものだと、白い蛇はそう囁いた。
今も尚、年を幼くしてこの世を去った娘の面影は、男の中に根付いている。思い返せば何時であれ、愛おしいと思える程に。
「それと、同じことなんです。ただ、俺は。今度は、彼の死を見詰めずに済んだ」
それはとても幸せな事じゃありませんかと、男は笑う。
「リディアが死ぬ時、何度自分が死ねば良いと思ったか。彼女が死んだ時、何度後を追おうと思ったか」
「……それは天命だと、そう答えなかったか?」
「天命だと受け入れることと、その人の死を受け入れることは別の問題だ」
苦しげに微笑む悪魔から視線を逸らし、ノイズは天井を見上げた。
片側には、暗い夜。片側には、煌々と部屋を照らす照明。その二つの境界が入り混じる天井を見上げて、何とはなしに似ていると、そう思った。
「もし……彼が同じように目の前で死んでいったら、俺はきっと耐えられなかった。共にあることを選んだのに、その終わりは見ないようにしていたから」
長く永く、死と呼べるものを知らぬ悪魔は吐息を零す。
苦しげで悔しげで、その癖酷く甘ったるい熱を含んだその響きから、ノイズは顔を背けた。
そんなこととは知らぬ顔をして、インディスラートは一層深くベランダの柵に凭れ掛かった。冷やりとした一本に頬を摺り寄せて、やはり甘い熱を吐き出す。
「消えてしまっただけなら……幾らでも、考えようはあるでしょう? 彼はただ、俺に飽いてしまっただけかもしれない。これから先、郷里に戻って。美しい妻と愛らしい子供達に囲まれて、平穏な日々を過ごすのかもしれない」
そうであればどんなに良いのだろう。
そんな言葉は吐かずとも、互いの胸に同じ思いはあるのだろう。白い蛇は濡れた吐息を漏らし、仮面の少年は視界を閉ざす。
「だとしたら。一体何を恨むんです。彼の心を繋ぎ止められなかったことは確かに悔しいけれど。幸福な結末を迎えるなら、それで良いじゃありませんか」
共に来いと、そう言って貰えなかったのは切なくはありますが、と。そう、インディスラートは吐息を結ぶ。
「それに、ひょっとしたら。万が一には、何時か戻ってくるかもしれない。帰ってくるかもしれない。だったら、その居場所を作って、残していなければならないでしょう?」
だから共にと言わなかったのかもしれない。くすりと密やかに笑んだ蛇に、両目を開かせたノイズが視線を移す。
枯草の色をじっと見詰めて、やがて微かな嘆息を吐いた。
「だから、悲しむことは何もないと。そう言うつもりか?」
「ええ。他に言い様がないでしょう?」
小首を傾げる素振りを選び、白い蛇は視線を空に滑らせた。
「ただ、ちょっと……頭が痛いんです。割れそうなくらい、ぐらぐらとして」
「………………」
「思えば何一つ、満足に約束を果たせなくて。……彼の声も、言葉も、表情も……全部覚えているのに、ね。何かが、欠けてしまった気がして」
「………………」
「……頭が、割れそうなくらい、痛いんです」
首を揺らした蛇が、遠くに輝く街の明かりを振り返った。
小さく微かな嗚咽は聞かないようにして、ノイズは部屋の内を見る。
そこは、まるで立ち去ったままの部屋だ。家具も雰囲気も、かつての住人の気配を色濃く残している。
吐息を揺らがす蛇を残し、ノイズは部屋の内に戻った。
――――そっと閉めた硝子戸の向こうで、微かに震える背は見なかったことにして。
寝台に独りで寝転ぶのは、そういえば初めてのような気がする。
そんな思いでちらりと視線を滑らせたが、入れ替わるようにもう一つの寝台は空っぽだ。其処に眠るべき少年は、まるで二人きりとなることを厭うようにふらりと出掛けて行った。
明かりも消してしんと静まり返ったベッドの上で、インディスラートは月明かりを浴びながら寝返りを打つ。
ベッドは柔らかく、そしてとても静かだ。
「…………欠けていくのは……慣れている筈なのに、な」
密やかな自嘲を吐いて、白い衣を抱き寄せた。気配の一片も、香りや温もりの一欠片も逃さぬように、その魔の秘密を用いたことは内緒だ。きっと一生、誰にも打ち明けることはない。
「……そういえば……確か、とても似通っていた、ような……」
ふとそんな印象を思い出して、指を衣服に伸ばす。
隠しから取り出したのは、鮮やかに色の移り変わるような、そんな不可思議な石だ。遠い昔に出会った、白い衣の綺麗な子供に貰ったもの。
それを左手の指輪に飾られた石に移し見て、微かに首を傾げる。
「――――……もし…………」
そうだったらどんなに良いだろうかと。そんな風に思った仮定が一つ、ある。
例えば同じような髪型だとか、深い夜から切り抜いたような双眸や髪の色だとか。
天使めいた綺麗な白い衣装だとか、あの頃には耳慣れずにいた異国の響きを宿す口調だとか…………。
「…………いや。同じでも、異なっていても。同じこと、か」
どちらも愛おしい思い出だ。
どちらも失い難い、一つは刹那の、一つは数え切れないほどに濃密な思い出だ。
薬指に煌めく石に口付けを施し、虹色に煌めく石を抱いて、そっと寝台に横たわる。
「女なら、リディエラだけが全てだった。ゆえに、もう女性と睦み合うことはないと思っていた……」
そしてその通りに、女性と睦むような関係には、これから先も成り得ないだろう。
左の薬指を独占する、そんな強欲な指輪に再び唇を触れさせて、インディスラートが熱の冷めやらぬ吐息と微笑を静かに浮かばせる。
「――――…………それなら、男は。……俺、が……愛する男は」
密やかな密やかな誓いを胸に抱き、囁いて目を瞑る。
「……貴方だけ、ですよ……――――イドゥラ……」
一つ、胸を焦がす名前を囁いて。
その男の衣に抱かれ、指輪に身を縛られて。
密やかに囁きを零した悪魔が、聖に焦がれて目を瞑った。
誓いは、誓いを宿す虹色の石に囁きて。
想いは、想いを映す白い衣に託し込んで。
願いは密やかに、身に刻まれた二尾の蛇らの如くに紡いで……――――。
(初出:20140917)
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2014/09/17
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